陶磁器(とうじき)とは、私たちの身近な生活の中にある「やきもの」のことですが、実用品としての役割を持つ物の他に美術品、工芸品の価値があるものもございます。

古伊万里(こいまり)、柿右衛門(かきえもん)、鍋島(なべしま)、古九谷(こくたに)、薩摩(さつま)等で美術品、工芸品として価値のある作品の買取ならGallery尚にお任せ下さい。
当店では特に明治期の京薩摩(錦光山等)、藪明山、真葛(宮川)香山等の作品の買取に力を入れています。
昔から家にあるけど価値が分からない陶磁器作品の売却をお考えの際は是非ご相談下さい。

陶磁器の歴史

陶磁器の歴史は二万年前に日本の祖先が独自に作り上げた「縄文土器」にはじまります。
その後の長い歴史の中で朝鮮半島を通じて伝わる中国の文化や製陶技術は日本の陶磁器文化の発展にも大きく影響を与えてきました。
中世から現在まで生産が続き、1000年の歴史を持つ主要な窯場は、瀬戸・常滑(愛知)、越前(福井)、信楽(滋賀)、丹波(兵庫)、備前(岡山)で「日本六古窯(にほんろっこよう)」と言います。

安土桃山時代 千利休の登場により茶道文化が発展し、黄瀬戸、黒瀬戸、志野、織部、和楽焼等の茶道の名器が流行しました。
豊臣秀吉の朝鮮出兵により渡来した陶工により九州地方の製陶技術が急速に発展していき、これらの製陶を行う地方は徳川幕府の庇護の元、近代陶芸の発展にも寄与します。
17世紀初期には佐賀・有田で白磁や青磁の焼成に成功し、中期には明治の工業化に重要な役割を果たす窯場や陶工が現れるようになり、柿右衛門や古伊万里、色鍋島、古九谷などの色絵磁器が発展していきました。

江戸幕藩体制から明治政府の誕生により陶磁器制作体制にも大きな影響を与えましたが、殖産興業の奨励により宮川光山など有力な陶工の他地域への移動や新規参入の動きも起こりました。このような中、1862年ロンドン万国博覧会、1867年のパリ万国博覧会に有田焼、薩摩焼が出品されると陶磁器の人気が高くなり、海外需要向けの制作が盛んになっていき、明治前期には精緻な表現と立体装飾などに特色と美を有する陶磁器が産み出されましたが、流行の変化により明治時代とともに終焉を迎えました。
国内向け陶磁器制作では従来からの煎茶各流派の盛んな活動によって京都中心に煎茶道具制作が行われました。

陶磁器の種類について

陶磁器は区別をすると原料と焼成温度の違いにより「土器」「炻器(せっき)」「陶器」「磁器」に分類されます。

土器(どき)

素焼きのやきもの。
窯を使わず、粘土を野焼きの状態で700〜900°Cの温度で焼いたもの。

炻器(せっき)

陶器と磁器の中間的な性質を持つやきもの。
窯を使い、1100~1250℃の温度で焼いたもの。

陶器(とうき)

厚手で重く、叩いたときの音も鈍いやきもの。
粘土を原料とし、窯を使い、1100〜1300°Cの温度で焼いたもの。

磁器(じき)

陶磁器の中では最も硬く、軽く弾くと金属音がするやきもの。
粘土質物や陶土を原料として1300°C程度で焼いたもの。

骨董的価値のあるやきもの~有田焼~

古伊万里(こいまり)

古伊万里(こいまり)は江戸時代に有田(現在の佐賀県)で焼成された歴史的、骨董的価値のある作品を言います。
明治時代に輸出された古伊万里はヨーロッパの王侯貴族達に愛され、今でもオールドイマリ(Old Imari)として世界中にコレクターが存在します。

柿右衛門様式

柿右衛門(かきえもん)様式の磁器は、景徳鎮の陶磁器を扱えなくなった影響を受けて、景徳鎮の赤絵の技術が持ち込まれ総力を挙げて生産された有田焼の一種で濁手(にごしで)と呼ばれる乳白色の生地に、上品な赤を主調とし、余白を生かした主に大和絵的な花鳥図などを文様を描いたものである。17世紀後半には、技術の進歩により純白に近い生地で作られた柿右衛門様式の磁器は輸出用の最高級品として製造されました。

古久谷様式(こくたに)

古九谷(こくたに)様式は、青、緑、黄などの濃色を多用した華麗な色使いと大胆で斬新な図柄が特色の磁器を言います。
様式から祥瑞手(しょんずいで)、五彩手、青手などに分類されます。

鍋島(なべしま)

鍋島(なべしま)は17世紀から19世紀にかけて、鍋島藩直営の窯で製造された藩主の所用品や将軍家・諸大名への贈答品などの高級磁器を言います。日本風の図柄が完璧な技法で描かれ、高台外部に櫛高台と呼ばれる縦縞があるのが特徴です。
鍋島焼の伝統は1871年(明治4年)の廃藩置県により途絶えました。

薩摩焼

薩摩焼(さつまやき)は、鹿児島県内で焼かれる陶磁器で竪野系、龍門司系、苗代川系があります。「白薩摩(白もん)」と呼ばれる苗代川窯(藩主向けの御用窯)で豪華絢爛な色絵錦手の陶器と「黒薩摩(黒もん)」と呼ばれる大衆向けの日用雑器に分かれます。
薩摩焼は1867年パリ万国博覧会、1873年ウィーン万国博覧会に出品し高い評価を受けたことにより、京都、大阪、名古屋、東京、横浜などでも薩摩焼風の焼き物が流行し、国内では産地で区別されましたが、海外ではひっくるめて「SATSUMA」と呼ばれ、その多くが輸出されました。その中でも「京都の錦光山」と「大阪の藪明山」は海外で人気を二分しました。

錦光山(きんこうざん)

錦光山家は江戸中期より粟田焼の名門でしたが、明治5年頃から薩摩焼の作風を取り入れ精緻で雅な花鳥図を中心とした京薩摩の作品を制作しました。
1889年パリ万国博覧会では銀賞を受賞し、「SATSUMA」にとって大きな転換期と言われる1893年のシカゴ万国博覧会を境に積極的に意匠、技術革新に取り組んでアールヌーヴォー調の作品を作り始めました。

藪明山(やぶめいざん)

藪明山(1853-1934)は画家藪長水の次男、大阪生まれ。
東京で陶画を学び、1880年大阪中之島に薩摩風色絵工房を設立。細密な風景画と装飾でオリジナルの作品を作り出し、国内外の博覧会で受賞を重ねました。「SATSUMA」にとって大きな転換期と言われる1893年のシカゴ万国博覧会以後も藪明山は、錦光山とは対照的に従来の作風にこだわって完成度の高い作品を作り続けました。

藪明山 色絵紅葉図花瓶

真葛(宮川)香山の真葛焼

横浜真葛焼(まくずやき)の創始者である初代宮川香山(1842-1916)京都生まれ、父に陶芸を学びました。
1868年岡山藩に招かれ備前虫明窯(びぜんむしあけかま)で指導に当たりますが、1870年横浜に移住し、翌年横浜大田村にて真葛窯を開きました。

開窯当初は京焼色絵磁器や薩摩金襴手(きんらんで)陶器を手がけますが、後に金襴手と高浮彫の立体装飾を融合させた独自の陶磁器制作を行います。立体装飾陶磁器は1876年フィラデルフィア万国博覧会、1877年内国勧業博覧会を始め内外の博覧会で受賞を重ねます。その後の世界的な不況を受け磁器制作を中心とし、新たな技法を模索して欧米でも未だ類例の少ない釉薬技法の磁器制作に成功し、従来にない優美な磁器作品を生み出しました。

初代真葛香山 釉下彩牡丹図花瓶

買取陶工作家名

下記は代表的な作家名でございます。無銘の作品や作家がご不明な場合や下記に名前がない場合もお取扱いたします。
まずはお気軽にご相談下さい。

清風与平
(せいふうよへい)
宮川香山
(みやがわこうざん)
伊藤陶山
(いとうとうざん)
諏訪蘇山
(すわそざん)
板谷波山
(いたやはざん)
藪明山
(やぶめいざん)
錦光山
(きんこうざん)

買取方法

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